
こんにちはーEママです。
NICUに通った時の事、障害の説明を受けた時の事を書いていこうと思います!
産まれたのに離れ離れ・・
私は退院しましたが、ぴっぴはNICU入院中なので、母に車を出してもらい、片道1時間弱かかる病院まで通うことになりました。
母乳をがんばって出し、それを母乳パックに入れて冷凍し、届けました。
搾乳機も購入し、夜中も起きて、決まった時間に搾乳する。赤ちゃんもそばにいないのに、何をやっているんだろう?と思うこともありましたが、おっぱいも張ってくるので、必死に頑張りました。
ぴっぴは、はじめおしっこが出なくてかなりむくんでいて、おしっこが出てほしいねーとお医者さんに言われ続けました。この時はいろんなたくさんの点滴の線がまだつながっていました。
2週間ほどでおしっこが出るようになり、むくみもとれていきました。点滴の数も少なくなり、このまま回復して元気な子になってくれたらいいなと思っていました。
長く生きられないのかも、、と思っていた部分もあったので徐々に回復していく姿がとてもうれしかったのを覚えています。

残酷な宣告
…が。脳のMRIやCTの検査が終わり、「今度はお父さんといっしょに来てください。検査結果と赤ちゃんの今後のことで説明したいことがあります。」と言われ、主人が病院に来られる日に、お医者さんの都合を合わせてもらい、話を聞きに行くことになりました。
⦅どんなことを言われるんやろう…。障害とか残ったりするんかな。。⦆不安な気持ちのまま、病院へ向かい、お医者さんと看護師さんと私たち夫婦の4人で小部屋に入りました。
「最初に結論を言いますと、予後は良くなく、将来歩いたりしゃべったりすることはできないと考えます。歩けたとしても、足をひいて歩くなどの障害が残ると思われます。」
⦅え…。。なにそれ。。普通にはもうこの子は生きていけへんのや…。⦆
この時お医者さんが話したこと、自分が思ったこと、たぶんこんな感じだったと思いますが、あんまりよく覚えてません。とにかくショックでした。
脳の画像も見せてもらいましたが、ほぼ真っ黒で、糸くずのように映っているのが大脳との事でした。
ですが、呼吸機能をつかさどる「脳幹」は無事だったため、自発呼吸ができていることがせめてもの救いでした。
ところどころ残っている脳がどこまで発達していくか未知数なのでその可能性を信じましょう、とも言われた気がします。
妊娠して、子供が生まれて、みんなと同じように、普通の、平凡な毎日が待っていると思っていた私にとってはとても衝撃的な1日でした。なんで私だけこんな目に合わなあかんのやろ…と思うと同時に、元気に産んであげられなくてごめんという気持ちもありました。
今後の生活がとても不安になり、未来に光はありませんでした。

以上が宣告を受けた時の正直な気持ちです。
でも今はそんな日もあったなぁー!という気持ちです。
次回はNICUを卒業し、家に帰ってから以降のことを書こうと思います!
お読みいただきありがとうございました。
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