【No.6】NICUに通った日々。大脳がほぼ無いという悲しい現実

NICUのこと
スポンサーリンク
Yパパ
Yパパ

NICUでの出来事について、Yパパ視点で書いていこうと思います!

スポンサーリンク

NICUなんて無縁と思っていました

「NICU」、それまで全く知らなかった世界でした。

娘の他にも多くの赤ちゃんがいました。医師や看護師たちは常にせわしなく動いていました。この方たちが居なければ、間違いなく娘は生きることはできませんでした。本当に感謝しかありません。

娘は治療のためにたくさんのチューブで繋がれており、起きて手足が動くと危険という理由から眠る薬を投与されていました。眠っていると聞かされても、このまま目を開けることは無いんじゃないかという不安がありました。

母乳を飲むこともなくこのまま、、なんて事も考えたりしました。

そんな時、看護師さんに「ぜひ、母乳を持ってきてあげてください」と言われました。妻がパックに入れてNICUに届けると、綿棒に少し母乳を湿らせ唇に擦り付けてくれました。

嬉しくて、悲しくて、その光景を見て自然と涙がこぼれました。

見た目は良くなっていきましたが、、

医師からは「もしかしたら長くないかもしれません」と言われましたが(妻には内緒にしていました)、少しずつおしっこも出るようになり、7日目くらいに初めて目を開けてくれました。

今見るとすごく小さいですね

妻から届く写真を楽しみにし、仕事も頑張れました。もしかしたら、何もなく退院できるかもと思うようにもなりました。

週末病院に行った時、医師から話がありますと言われました。

大脳がほぼ無く、おそらく寝たきりになると思われますとの事でした。

正直、実感は無かったです。現実を受け止めたくなかったのかもしれません。

その帰り、妻とファミレスに寄った時、周りには親子で楽しそうに食事をしている人たちがたくさんいました。あぁ、、娘とこうやって食事をしたりできないのか・・その時初めて胸が苦しくなりました。

当たり前と思っていた事が当たり前でなくなっていく。

やり場のない怒り、羨望、嫉妬、いろいろな感情が、あの時はありました。(今なら、そんな風に思いつめなくて大丈夫と言ってやれるのですが笑)

子供が障害を持つということを受け入れるのは、どうしても時間がかかると思います。

その夜、妻は相当ショックだったのでしょう。過呼吸となり、病院に行きました。なんとか落ち着いて事無きを得ました。(妻も入院したらシャレにならんわ、、と思うとともに自分がしっかりしないとと思うようにもなりました)

Yパパ
Yパパ

障害児を育ていけるのかな、この子に何をしてあげられるのかな。

この時はそんな事ばかり考えてしまいました。

でも、この少し後にそんな気持ちを前向きにさせてくれる医師と出会うことになります。その話はまた今度に!

コメント

タイトルとURLをコピーしました