【No.3】脳性麻痺の娘が産まれた時の記憶 【Yパパ視点】

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仕事中に突然の電話・・

その日は休日出勤中でした。

里帰り中の妻から「胎動が無いから産婦人科に行ってくる」とお昼くらいに連絡があり、少し嫌な予感はしていましたがそのまま仕事を続けていました。

夕方になっても連絡がなく、さすがにおかしいなと思い始めた頃に妻のお義母さんから連絡がありました。着信の表示を見て、あぁ…何かあったんだな…と思いました。

救急車で大学病院に運ばれた事、帝王切開した事、落ち着いて聞こうと思いましたが、あまりよく覚えていません。

定時前でしたが会社を出て、どれだけ自分が急いでいたとしても速くなることはない電車に乗りながら不安は募るばかりでした。(それまで本当に順調すぎるほど順調だったのですから…)

不安なまま高速に乗り、滋賀県へ

ちょうど渋滞の時間でもあり、鈴鹿ICあたりで時間を取られ病院に着くまでに3時間はかかり時間は21時過ぎだったと思います。

NICUにつくやいなや、医師から「赤ちゃんは貧血状態であり、輸血には保護者の同意書が必要です」と言われ同意書にサインしました。(妻は麻酔後で眠っていました)

同意書を受け取るとすぐに輸血のため部屋を出ていきました。残された自分に、代わりの医師が状態について説明してくれました。緊急帝王切開となった事、死産ではない事、懸命に治療にあたってくれている事など…。

不思議と落ち着いて話を聞いている自分がいて、何か質問はありますか?という問いに対して、3つくらい質問した気がします。(内容はさすがに忘れましたが…笑)

私が落ち着いていると感じたのか「赤ちゃん、見てみますか?」と聞かれ、ひと呼吸おいてから「お願いします」と伝えました。

全く予期していなかった状態での対面

初めて対面した時の事は今でも鮮明に覚えています。

身体中に無数のチューブが繋がれた、全身真っ白の赤ちゃん。本当に血の気のない白さでした。

生後3日目くらい うまく排尿できず全身むくんでいました

横で鳴っている心音モニターの音も、何もかも現実味がありませんでした。

「これが自分の赤ちゃん…」そう思うと同時に、急に全身の力が抜けました。

先生たちがとっさに受け止めてくれたおかげで、大事な機器を倒すことはありませんでしたが、そのまま前に倒れていたら大変な事になっていたと思います。

打合せ室のような部屋で横になり、そのまま眠ってしまいました。

連絡を受けてから今までずっと気を張り詰めていた事もあったと思いますが、赤ちゃんが生きていたという安堵の気持ちから一転、素人目に見てもとても危険な状態である赤ちゃんと対面したことで感情が追いつくことができなかったような気もします。

妻との対面

1時間くらい眠った後、妻が入院している部屋に案内してもらいました。

妻は麻酔でぼーっとしていました。(いつにも増して…)

あまり赤ちゃんの事は気にしないように、体は大丈夫?というような話をしようとしましたが、

「赤ちゃんは大丈夫やんな…?」と聞かれ、正直大丈夫な状態ではありませんでしたが「大丈夫、まずはゆっくり休んで」という返事を選びました。

それまで何も疑いもなく無事に産まれてくるものだとばかり思っていました。

晴天の霹靂というのか、まったく予期していないことが続き、この日は本当に疲れました。

赤ちゃんも死産ではなかったものの、危険な状態には変わりなく、不安で押しつぶされそうでしたが、妻を不安にさせないようしなくては!と、気持ちを切り替え、妻と同じ病室で固い簡易ベッドで眠りにつきました。

Yパパ
Yパパ

いや~、この日は本当に疲れました。

今となっては良い思い出ですが…笑

大抵の事は時間が解決してくれる、最近本当にそう思います。

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